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Vol.78 豊かであるということ

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Vol.78 豊かであるということ

皆さんは、ご家族やご友人と「お金で買えるものと買えないもの」のような話をしたことがありますか。
今回は、お金にまつわる面白い話に触れる機会がありましたので、二つご紹介します。

「友情は金じゃ買えないという話も同じことだ。金で買おうとする根性が間違っているという話ではなく、そもそも友情の意味がわかっていない。友情が金で買えないのは当たり前だ。何故かといえば、そんなものはハナっから存在しないからだ。ないものを買おうとしちゃいけない。(中略)要するに友情というのは、こっちから向こうへ一方的に与えるもので、向こうから得られる何かではない。友情とは、自分の相手に対する気持ちだ。友情から何かを得ようと考えることがそもそも間違っている。 損得尽くで考えるなら、友情は損するだけのもの。だけど、アイツが好きだ。困っているのを知ったら、助けてやりたい。そういう自分の気持ちを、買えるとか買えないとか言っていること自体がおかしな話なのだ。ふっと周りを見回して、そういう風に思える友達が一人でもいたら幸せだ。」

『全思考』北野武/幻冬舎/2007

将来の困窮に対する不安を感じ家計簿をつけだしたが、自分の弱点がわかりすぎて嫌になり、都合の悪いことは書かなくなるという「だれに対してか意味不明の見栄」が働き「結果的には、家計簿は困窮に対する不安を救ってはくれなかった」ということを経験された方もいらっしゃるかもしれません。

「そうして三十代も後半に近づいた今思うのは、二十代のときに使ったお金がその人の一部を作るのではないか、ということである。(中略)二十代のお金は、例外もあるがほとんどは自分で作った自分のお金である。なくなろうがあまろうが他の責任ではなく、ぜんぶ自分自身のこと。それをどう使ったかということは、その後のその人の、基礎みたいになる。もちろん基礎のすべてではない、一部ではあるが。今の私の足場のなかに、二十代のころとにかくだれかと飲んでいた時間、というのはまぎれもなくある。(中略)十年前の家計簿を見返すとき、この人はこんなに困窮の兆しを抱えながら毎日飲んじゃって、情けないなあと思いつつ、ああこのとき飲み代をけちらなくてよかった、貧しても飲す、でよかったと、安堵するのもたしかである。三十代に使ったお金というのも、きっとこの先、なんらかの意味を持つのだろうと思う。それはまだまだ気づかなくて、四十も半ばを過ぎたあるとき、はたと思い当たったりするんだろう。」

~1日(1995年の、たとえば11月9日)5964円~
 『しあわせのねだん』角田光代/晶文社/2005